総合プロデュース型事業について:カトープレジャーグループ

カトープレジャーグループはうどん専門店のつるとんたんでその名を多くの人に知られている。最近だと、つるとんたんの海外第一号店がアメリカ・ニューヨークにて開業された。うどんの専門店が海外で店舗を持つだけでビッグニュースだが、銀座を中心に有名店であるつるとんたんだというのだからさらに多くの人の関心を引いている。

今後は海外からも多くの来店客にその名を知られ、日本だけでなく世界でうどん専門店として注目されていくだろう。

ニュースリリース

http://www.kpg.gr.jp/news/det167.html

店舗概要

■住所:21 East 16th St, New York, NY 10003
■席数:テーブル128席 / Bar25席
おうどんメニュー

TsuruTonTan Deluxe
Kitsune Udon
Mentai Caviar Udon
Uni Udon など
1品メニュー

Spicy Tsuna Cone
Sashimi Salad
Tatsuta Fried Chiken など

総合プロデュース型事業について:カトープレジャーグループ・加藤友康社長(1)

現在の日本国内において飲食業大手と言えば「モンスーンカフェ」「権八」「カフェラ・ボエム」などを展開するグローバルダイニング、「響」「魚盛」「鳥どり」などを展開するダイナック、そして「つるとんたん」「赤坂紙音」「雅しゅとうとう」などを展開するカトープレジャーグループが挙げられるだろう。特に近年、これらの企業に代表されるように飲食事業を軸としながらも、ホテルやリゾート、ブライダル、スパ、エンターテインメントなど事業を多角化させていき、総合プロデュース型事業へ発展させていくケースが多く見られる。中でもカトープレジャーグループはその傾向が顕著に見えるが、実は同社に限っては飲食事業から総合プロデュース型事業に発展したわけではなく、そもそもの始まりが総合プロデュース型事業であったという。その点において代表取締役である加藤友康氏の手腕とビジネスコンセプトには非常に興味深いものがある。

 

カトープレジャーグループを率いる加藤友康氏は1965年、大阪市の生まれ。父親が経営していた加藤洋装店は徐々に事業を拡大し、うどん屋やホテルなどを開業。友康氏はそれらの事業を若干20歳の若さで引き継ぎ、さらに事業を軌道に乗せて成功へと導く。この時に所有していたホテルをリニューアルした事が成功へ大きく寄与し、以降プロデュース事業に着手していく。創業期より展開していたうどん屋を「麺匠の心つくし つるとんたん」としてプロデュースし、あの大きな器がトレードマークとなって人気を博している事は言うまでもない。

 

加藤友康氏のビジネス感を語る上で、同氏の青年期の経験は外すことができないだろう。

前述のとおり若干20歳の若さで父から事業を引き継いだわけだが、その事業は当時20億円近くの負債を抱えていたという。20歳の青年にとって、20億近い借金を抱えるという決断がどれほどのものであったか。相当の覚悟と勇気がなければできない決断であっただろう。そして24歳の時に「うどん店」の再生に着手。これが今日に至る「麺匠の心つくし『つるとんたん』」の始まりである。香川県出身の父が始めたうどん店は、それまでのどこにでもある讃岐うどんのうどん店となんら変わりはなかったが、友康氏は創意と工夫で讃岐うどんのコシのあるうどんに大阪のダシを合わせた。さらに誰もが目を引くトレードマークの大きな器で見た目のインパクトとエンターテインメント要素をプラス。プロデュース直後、月商1200万円を売り上げる人気店へと変貌した。ホテルの再生、うどん屋の再生…この2つの実績から、加藤友康氏はプロデューサー、事業再生のスペシャリストとして注目を集めていく。

 

プロデュース事業というのは実態が見えない事業であり、一見すると実に曖昧な事業でもある。当時20億円近い負債を抱えた友康氏にとって、ホテル、うどん屋の事業再生は恐らくプロデュースという感覚ではなく、生きるか死ぬか、生死をかけた事業再生だったに違いない。極限まで追い込まれた状況下であったからこそ、バブル全盛期という湯水の如く資金を投資する時代にも関わらず、曇りのない眼で物事の本質を見極める力が養われたのだろう。